【メンタルヘルス】不完全であることも尊いことと言えるかもしれない【うつ病・大人の発達障害】

今回は「人の不完全さ」について私が感じることを書いていきます。

駄目人間と話すと気が楽だと言われたが…

私は幼少期より孤独(社会とのズレ)を感じながら生きてきましたが、現在の状況が状況だけに孤独を極めてしまいました。

まぁそれは置いといて…

君のようなのような駄目人間と話していると何故か心が救われる

と、このようなことを複数人から言われたことがあります。

毎回「なぜ駄目人間である私と話すとホッとできるのか?」と不思議に思っていました。

そして、「自分よりも下の人間を見下して得られる優越感」が関係しているのかな?とも思ったのですが…

今日ほんの数秒間でしたがボーっとしていたら「社会に適応できない人と話すことで、自分だけじゃないんだという安心感が芽生えるのかも?」なんて考えがポッと浮かんで。

その後に、私が某鬱バンドさんの歌詞に心救われることにも似ているのかな?と思いました。

辛い時って、ポジティブな歌でよけいに辛くなったりしませんか?

私はどん底状態の時は超ネガティブな歌を聴きます。

ポジティブな言葉を耳にしても、辛い時は煽り文句にしか聞こえないからです(私だけでしょうか…)。

たとえばどん底の時に「夢はきっと叶う!」なんて言葉を聞いても共感できず「夢なんて叶わなかった!現実は残酷なんだ!そんなの綺麗事でしかない!」と、否定モードになってしまうんですよね。

しかし「正直辛い。なんだろこの人生。何もかもが最悪だ」という言葉を聞くと「わかる…ほんとそれ…」と共感できて心が救われるんです。

この宇宙の原理を考えたらマイナスな言葉を聞くことでマイナスを引き寄せてしまう?なんて疑問もわきますが…(ーー;)

いや、引き寄せの法則的なアレがね。。

不完全な存在でもいいかもしれない

発達障害などの自閉スペクトラムや鬱で悩んでいる時は、「自分は駄目な人間だからこの世に存在してはならないんだ」という思考に陥りやすいのですが、もし「駄目な人間である自分を見て心救われる人がいる」としたらどうでしょう。

「君は駄目な人間なんかじゃないよ」と慰め(?)てくれる方も居ますが、メンタル系の疾患を持っていると、「いや、駄目人間だし…」って思ってしまって素直にその言葉を受け入れられないんですよね。

駄目人間なことは自分が一番わかっているんだ、きっとあなたは私と共に暮らしていないから、私の一部分しか見ていないからそんなことが言えるんだ。

ほっといてくれ、何を言われたって私は駄目人間なんだ、と。

自己肯定感が低いと言われても、自己肯定感が低いんじゃなくて私が駄目な人間なのは事実だし!って思ったり。

そして、「こんなに駄目なのは自分だけだ」「他の人はみんな上手くやっているのだろう」

という思いが先にあって。

徐々に孤独感がふくらんでいって。

そんな時に「自分と同じように苦しんでいる人の本音」を聞くと、不思議とホッとできちゃうんですよね。

どれだけ励まされても、ポジティブな言葉をかけてもらっても悲しみが癒えない時があるのに、共感できる言葉に出会ったり同じような人と交流したりすると心が軽くなる。

つまり。共感することって、大切なことなんでしょうね。

もしあなたが今、自分なんて最低最悪の存在だ、と思っていても。

仮に本当に最低最悪だとしても。

そんなあなたを求め、必要としてくれる人はいるかもしれません。

(あなたに共感して救われる人もいるかもしれません)

現状の自分を受け入れる

そもそも、多くの人はしっかりとして見えますが、完璧な人間はそうそういないと思うんです。

人並みのことがこなせない状況が続くと、自分のみが不完全で他の人は皆輝いている、と思いがちですが、しっかりして見えるあの人にも不完全な部分はあるかもしれません。

(まれに短所が見当たらないスゴイ人もいますが…)

人はロボットではありません。

完全無欠、なんて心身が健康な方でも難しいのではないかと思います。

私がこんなことを書くと、自己擁護のようになってしまいますが…(;^ω^)

自分はスゴイ!自分は駄目なんかじゃない!と思うことは難しくても、「自分は不完全だけど、これはこれでいいかもしれない」という受け止め方はできるかもしれません。

自己肯定感を高めすぎると(今の自分を許すと)今後人間的に成長しなくなるのでは!?という不安もありますが、うつ病になってしまう人の多くは自分自身にストイックだと思うので、ちょっとくらい、ほんのちょーっと自分を許すくらいはいいのでは?と思います。

不完全だからこそ

話がまとまらなくなってきたので無理矢理まとめてしまいますが、不完全だからこそ生まれる価値もあると思います。

(突き詰めて考えればそもそも物事や人に価値など求めなくても良いかもしれませんね)

心がぐちゃぐちゃボロボロになって初めて見える世界もあるでしょう。

そして心がぐちゃぐちゃボロボロになった人が誰かの救いになることもあるでしょう。

今日はそんな、そんなことを少しだけ考えていました。

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